「時」は来れり。

久し振りに自分と向き合いました。
心を落ち着かせ、静かに自分の内を観じていると
こんな想いが伝わってきました。

。。。。。 。 。。。。。 。 。。。。。 。 。。。。。

私という存在が、今、ここに居ります。
大いなる旅の、その先に「今」という時を迎え、
ここに来ております。
大いなる私の旅の行く先は、もう既に、あなた、
いえ、私には分かっている筈です。
そう、私・・・・
長い長い旅の果てに、ここに来ているのです。
この時を逃さず、この時を掴んで、
あなたとあなたに縁有りし者たちと、
共に、至福の過程へと向かうのです。

「時」は、来たる。
大元からの呼び掛けに答えよ。
大元からの光を感じられよ。
「時」は、来れり。

この「時」とは、全てのものに向けて放たれているのです。
このことに気付くもの、大いなる幸いとなるであろう。
まだ、気が付いていない者が多くあるなか、
気付いたものは、ただ、ただ、その歩みを止めることなく、
大いなる元々への歩みを進めるのみ。
決して、教えてあげようとか、説得しようか、
しないでよろしいのです。

先を行く者よ。
ただ、自分の歩みを進めなさい。
人は自分の内に、大いなる大元と繋がることのできる
真っ直ぐな一本の道を秘めているのです。
秘密の回路のようでありますが、
そこに気付いた者には大いなる福音の発見なのです。
元々へ還って行くことは全ての人に用意されていることなのです。
気付いた人からそれを始めることは、やがては、
多くの人たちへも拡がってゆくことでしょう。

常に自己の中心とつながり、
常に自己の中心を感じていることが肝心でしょう。
あなたがたには大元からの呼びかけに応じる遺伝子が内蔵されているのですから、
鮭が川を遡って産まれた所まで遡上してゆくように、
全ての人は、いつかは自分の故郷に戻ってゆくのです。
元々の光のなかに、還ってゆくのです。
早い遅いは、その者の成長に見合ってのことですから、
これは決して競うことではなく、一人ひとりの歩みでよいのです。

さぁ、あらゆる体験を積むために生と死とを繰り返し、
今、ここに目覚めし魂よ。
迷うことなく、ただ真っ直ぐに還ってくるのです。
大いなる旅路のその果てに用意されているこの道を、
真っ直ぐに戻ってくるのです。
ただただ、あなた自身の歩み方で・・・

。。。。。 。 。。。。。 。 。。。。。 。 。。。。。

全ての人に用意されているという道。
元々に向かう(還る)ための道を、
自己の内にみつけること、観じること。
それこそ素晴らしい発見ですね。

実践あるのみ・・・

ありがとうございます。
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# by spacewane | 2005-12-26 16:14

答えは自分の内に・・・

下丹田に意識を持っていきながら、
静かに、静かに、自分の中心を観じてみましょう。

自分の中心・・・そこに脈打つ確かな感覚が観じられます。
それは次に、エネルギーとして身体の隅々まで行き渡るように拡がって、
初めは部分的に、そのうちに身体全体が暖くなってまいります。

  ・・・・・・・ ・ ・・・・・・・ ・ ・・・・・・・

自分は一人ではない。
大宇宙に、この自分の魂と強い絆でつながっている大いなる存在が在る。
それはそれは気も遠くなるほど大昔のこと、大いなる存在の元から発した命は、
永遠に続く命として何度も転生し、今また個としての肉体を持って此処に来ている。
その存在が「私」であり「あなた」なのです。

何のため・・・
誰と出会うため・・・
今・・・・此処にいるのかしら?

そう、それは・・・
自分という存在を通して様々なことを体験するため。
そして、あらゆる体験を持って、大いなる大元に還るため。

常に見つめる対象は自分のみ。
自分自身が置かれている現在の状態は、そのまま、
今の自分の心の状態を現しているのです。
人は、皆、夫々の意識を、自分の環境に反映させて、
その中で一喜一憂しながら生きているのです。
その一喜一憂が、そのまま、自分の現在の状態といえるのでしょう。
心の状態は常に一定では有りませんから、
揺れ動く心に翻弄されてしまうことが、しばしばです。

でも、もう、それは、翻弄されての人生は、
そろそろ、終わりにしましょうか。

自分の進む方向を、自身の内に観じてみるのです。
そこに答えが有るはずだから・・・
汲んでも尽きないがものが自分の内に次々と湧いて来るのを
観じてみるのです。
余計な心配や不安で心をいっぱいにしないで、
ただただ、自分の内を観じながら誠実に、今を、歩んでまいりましょう。
大元につながっている自分の内は、いつも調和に満ちております。
そこを感じながら歩んでまいりましょう。

  ・・・・・・・ ・ ・・・・・・・ ・ ・・・・・・・

自分に聞いて、観じてくることを、素直に実行してゆくこと。

只今、それを実行中です。

自分一人で行う範囲のことは易しいのですが、

第三者が関わってくると難しいことも起きてきます。

そういう時は、応用問題だと思って、難問が来るほどに

人生の学年が上がった証拠と喜ぶことにしました・・?(笑)

皆さまのところに難問は来ていませんか?

ありがとうございます。
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# by spacewane | 2005-12-20 16:23

ご無沙汰しました。

・・・今を誠実に生きること・・・
私は今、日々、そのように生きております。
この地球上の誰もが「今」を精一杯に生きているのだから、
わざわざ、それを言うのは変ですが、
敢て、言いましょう。

気が付くと、以前には自分の内に確かに有った、人生の目的とか、
信念とか、こうするべきとかの想いが、あれれ、いつの間にか
「何にも無い」状態になっていました。
ただ、余計な頭を使わずに、今、したいこと、感じてくることを
実行しているのです。

また「今」を生きていると言っても、
将来に対する夢とかが無くなったしまった訳では有りません。
未来に対して湧いてくる具体的なイメージを感じて楽しんだり、
   (まるで夢見る夢子さんのように〜〜〜)
過去に出会った人々や、起きた事柄の中に、
今へと続く繋がりを感じて多いに感謝したりしております。

そのように過ごしている最近の私ですが、この頃は、
以前と変わらない日常の何気ない生活に、新鮮な喜びを感じたり、
以前と同じ周りの人々が、とっても愛おしく観じてくるのです。
有りがたく、この宇宙の一員として生かされていることを感じます。

様々な周囲との関わりの中で人は生かされております。
人は一人では生きてゆくことが出来ないでしょう。
しかし、この自分という存在が「今」選択したことが、
過去・未来を包含しての「自分の現実」ということになるのです。
「過去」から「未来」からが、この現実を決定しているのではなく、
「今」が現実を創っているのです。
それは、周囲との関わりにおいても「自分発→周囲」ということなのです。
人は何時でも「自分発」の出来事を体験しているのです。
周りに影響されての出来事と、言訳は出来ないようですね。
その「今」を選択したのは、自分ですから・・・

随分と長い間、このブログをお休みしておりました。
現実に身体を使っての忙しい時を過ごしていたのですが、
それが落ち着いた後も、なかなか更新しないでおりました。
現実の生活・環境にも、意識にも、変化の時期を観じて、
それに対応しながら過ごしておりました。

そして「今」。

「今」から「今」へ、
常に「今」の創り手としての自分を感じ、
「自分発」の歩みを一歩一歩進めながら、
夫々が人生の創造者として関わりあっている。

その大切さに改めて気が付いている「私」です。

ありがとうございました。
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# by spacewane | 2005-12-05 16:00

感謝の日々。。。

暫くのご無沙汰でした。

現在、私は日常で様々な変化の時を迎えております。

母は退院して自分の家での生活を始めました。
と言っても入院前のようには身体の機能が戻らずにおりまして、
ほとんど一日中をベッド上で過ごしているような生活です。
それでも自宅に帰ってこられたことが嬉しいと言い、
「このままが良い・・・」と満足そうにしております。
食も細くなって、小さくなった身体で、精一杯にその存在を
示して見せてくれる姿は、人が生きてゆくということの意味を
教えてくれているようで、感謝の心が自然に出てまいります。
母は、ヘルパーさんに入ってもらいながら、私と妹が通っての
介護をされる生活となりました。
日々起きてくることを状況に応じながら対応してゆくのですが、
その生活は母との絆が益々強く観じられてくる毎日です。

先日、こんなことが有りました。

母の介護について、身近な人に協力を依頼しておりました。
一度は承認をしてくれたのですが、その後、「やっぱり、無理。」
と断られました。
その時、微かではありましたが、自分の心の奥で、
「え! 今、やらなくて何時行動するの?」
「なんて可愛そうな人・・・」
というような思いが湧いてきたのです。

その後、母の家からの帰り道のことです。
「自分意外の人を非難したり拒否したら、それは自己否定と
同じこと。」という言葉が内から響いてきました。

ワンネス。。。全てはひとつ。。。

そう、自分は自分の心を、ただただ、見つめていれば良いのだ。
目の前に来ていることを、精一杯に真心で行うことが歩む道。
ついつい人のことまで、勝手に決めてしまう自分がいた・・・
これは、そのような自分が引き寄せたことだったようです。
多いに気付かせてもらった次第です。
はんせい・・・・そして、ちょっと、せいちょう・・・

引っ越しを決めました。
時期は、まだまだ先ですが、ほとんど突然のように話がやってきて
決まってしまいました。
勿論、決めたのは、夫と私ですが・・・
でも、その展開に、自分でも、ビックリ!!! 

また、息子が或る国家試験の受験に合格しました。
何年か掛かっての快挙なので、大喜びの「親ばか」です。
地道な努力を知っているので、なおさらの喜びです。
喜びを持ってきてくれた息子に、そして、状況の後押しをしてくれた
全てに「ありがとう!」です。

と、いうわけで、今、いろいろと変化の時が来ておりますが、
そのどれもが、ワクワクと心躍らせてくれます。

今、自分は自分と深く強く繋がって生きているということを、
心より実感して感謝せずにはいられません。
全てに、感謝です。
ありがとうございます。
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# by spacewane | 2005-10-14 17:32

元熱田・秋分の日奉納コンサートに参加して。

秋分の日、高い青空に軽い雲が幾つも浮かんでいて、
太陽が燦々と輝いておりました。
まるで、真夏に戻ったような暑い一日となりました。

豊川のインターを降り、道を左、左と辿ってゆくと、
左側に大きく削られた山の斜面を赤くむき出しにして、
照山は姿を見せてくれておりました。
その姿は、あまりにも無残に目に写り、
思わず、「あぁ、ごめんね。」という気持ちで、
一瞬、胸がいっぱいになりました。

そして、脇の細い道を入ってゆくと、そこはもう神社。
賀茂神社の境内でした。
山がそのまま神社になっているような佇まいで、
広大な広さと、沢山の樹木に囲まれて、
鳥居、社、末社、神楽殿・・・等が配置されております。
全体が素朴な様子で、一昔前に還ったかのような、
懐かしい落ち着きを感じました。

本殿の拝殿前にて、「宇宙とのホールディング」奉納演奏が
行われました。
鳥の声がバックグラウンドで、上からは太陽が背中にギンギンと
照り付け、演奏者の方々にはお気の毒な状態でしたが、
私は何故かそこに、今回の強いメッセージが有るような気が
しておりました。

その後、照山に移動いたしました。
南側が削られた山の反対側、北側にあたる小高い中腹です。
かなり急な斜面を上がると、そこにコノハナサクヤ姫を祭神として祭る社と、
その隣にはヤマトタケルの剣がそこに納められていたことを象徴する石像が
ありました。
皆が、意識を精妙に整えながら思い思いのご挨拶をいたしました。

続いて、おじさんチャネルの講演がその場で行われました。
「初めは、人間の経済社会の発展のために、山が削られ、形を変えられたこ
とに対する、怒り・悲しみのような波動を感じましたが、今、皆の癒しの気
持ちが照山そのものを癒し、これを受けて照山も喜んでおります。
この山の砂が皆の家や建物等に変わってゆきますが、そこに後悔はなく、
こういう形でお役に立つということを、照山は承知をして受け入れ、必要な
ことであったと思っております。
この山は、古来よりピラミッドとして広くこの地域一帯のエネルギーを調整す
る存在でありましたが、元々有った(もとあった→元熱田)その形を変えられ、
もう、元に戻ることは決して無いのだけれど、山は山として生き続けていくと
いうことをしてまいりますと言っております。
皆さまも、本来の元々の素晴らしさに還ることをしてまいりましょう。
その象徴として照山は、身を捧げて見せてくれているのです。
剣は、長い間、武器として扱われ戦いの象徴のようで有りましたが、本来の
意味は、剣が地に立てられた形の如く、天と地を一体として結ぶ象徴として
あるのです。
天と地とひとつになり、その元々に還るため、もし迷いが出たならば、どうぞ、
この剣をふるって絶ち切っていってください。
元々のあなたの素晴らしさにどうぞ気付いてください。」
というような(メモした訳ではないので違っていたらゴメンナサイ)、内容の
講演でした。
私には、深く深く響いてまいりました。

その後、沢山のミュージシャン達が集まって、それは楽しいイベントが遅く
まで続きました。
神社の神さま、木立、周辺の山々、集った人々、みんな、喜んだことと確信
します。
かがり火も炊かれ、キャンドルライトの仄かな明かりが小道を照らし、ムード
も充分に盛り上がった頃、私と友人の一行は感謝の気持ちを心いっぱいに抱き、
別れを告げたのでした。

照山さん、ありがとうございました。
主催者とスタッフの方々、神社の方々、ありがとうございました。
おじさんチャネルさま、ありがとうございました。
出会った方々、ありがとうございました。
この土地の全ての存在さん、ありがとうございました。
そして、NHさん、長距離の運転でお疲れさまでした。感謝!ありがとう!
    OTさん、ご一緒で楽しかったです。ありがとう!
また、北にお住まいのHTさん、MYさん、一緒でしたよ。ありがとう!

以上、元熱田、参加の報告です。
ありがとうございます。
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# by spacewane | 2005-09-25 00:19

これから「スペース・和音」は・・・

ヒーリング・・・・
オイルセラピー・・・・

癒されることは誰にとっても心地よく、
そこに身を委ねて、ゆったりとした時間を
いつまでも楽しんでいたいもののようです。

セラピストとしてセラピーを行う者にとっても、
これは心地よい時間を共有できますから、
また、自身にもエネルギーが入ってまいりますから、
共に心地よく、癒し癒されることとなるのです。

私は、このように観じてヒーリング&オイルセラピーを
行ってまいりました。
それは本当に楽しく過ごしてまいりました。
そして、これからも多分、ず〜〜と、続けていくのだろうと
思っておりました。

しかし、この頃、この路線を続けていくことに、
「ちょっと、待って・・・」と、
自分の内よりストップの感覚がくるのです。

「なぜ?」

この2ヶ月あまり、この感覚に素直になじめず、
納得できない私がいました。

なぜって・・・
「スペース・和音」にて、オイルセラピーを行うことを決めてから、
準備をしてオープンするまでに起こった数々の奇跡のような出来事、
掛かった費用、出会った人々・・・
そこには私にとって沢山の気付きと、感動と、感謝の想いがあるのです。
その、どれを取っても偶然ではないサポートのなかで「和音」は、
活かされてきたと思うのです。

一方で、私は、ヒーリングに対する意識が変化してきているのも
観じておりました。
他人から癒してもらわないでも、人間は自分自身で自分を癒し、
身体や気の病いさえ、直してゆく力が備わっているのです。
気付き、軌道を修正して生き方を変え、自分を本当に信じることを
始めたとき、自分も周りも変わることが出来るのです。
ここに深く気付いたら、ヒーリングをする意味が見出せなくなって
おりました。

真のヒーリングとは・・・・
内なる自分と「ひとつ」になって、
自分を心から信じ、大切にして、多いに楽しみ、喜び、
その想いで心がいっぱいに満たされた状態でいるとき、
自分も周りも、共に、癒やし癒されるのです。
心も身体も健康になるのです。

でも、これが言葉では簡単そうですが難しいようです。
難しく頭で考えずに、心で観じて流れに乗ってまいりましょう・・・
今は、そういう時に入りました。

17,18日頃より、新しい流れをハッキリと意識して行動し始める
自分を観じました。
素直に、その流れに乗ろうとしている自分がいるのです。
振り返ると、和音に対する諸々の未練のような感情がふっ切れていました。

「スペース・和音」は、現実の場所として存在しておりましたが、
そこを閉鎖することにいたします。
これからはブログ上のネームとして使ってまいります。
どうぞ、これからも、新生「スペース・和音」を
宜しくお願いいたします。

そうか・・・さて、
ここから、又、新しく始めることが、今、自然の流れとして来ているようです。
そう思ったら、もう、ワクワクして、心が弾んできます。
さて、これから、どのような現実に会えるのでしょうか・・・
いつも言っているように、出会うことは自分のプログラムしていること。
それを受け入れ、心を喜ばせながらの歩みをしてゆきましょう。

また、ブログを通して、日々、観じてくることを、これからも載せてまいります。
皆さまと共に、それをシェアさせていただければ幸いです。
メールにて、また、コメントにて、ご意見、ご感想をお寄せいただきますことを
楽しみにお待ち申し上げます。

ありがとうございます。
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# by spacewane | 2005-09-22 16:31

「元熱田・秋分の日」イベントに向けて。

皆さま、こんにちは。
いつも、ブログを見てくださって、ありがとうございます。

今回は、23日に行われる「元熱田のイベント」について、
その意味を、私なりに受け取らせていただきましたので、
交信結果をブログを通し公開させていただきます。

初めに載せた内容は8月5日の交信結果です。
 (一部の方には報告させていただきました。)
次に本日の交信結果を載せます。

・・・・・・・・ ・ ・・・・・・・・・・・ ・ ・・・・・・・

大いなる宇宙からの光を受け、
この地球からも光を発し、
夫々の尊い御柱としての光を通して、
さらに、さらに、全てが「ひとつ」になる為の
イベントとなります。

歓びと、感動と、光が、
乱舞するような輝きが、
ここより地球の隅々まで波及されることでしょう。
どこまでも続くさざ波のような美しい波形を生みながら・・・

歓喜あふれるイベントとなるでしょう。
また一つ、聖なる「扉」の幕開けです。
「ひとつ」になる体験を楽しんでください。

皆さまの浄き道を行く御魂のその御姿を、
こちらから見させていただいております。

御魂が、御霊としての元々に帰るための
『聖なる扉』が自らの手によって開かれます。
一人ひとりの喜びの内に
その御霊返りの扉は開かれ
ここに、まず、確かな一歩を踏み出します。

夫々の封印を解き放ち、
全ての扉が開かれる瞬間となるでしょう。

               ー8月5日の交信ー


今、ここに聖なる扉が開かれます。

あなたがあなたの元々に そのまま還ってゆく
大いなるイベントが開かれます。

参加される方は勿論
参加の出来ない方にとっても
そこに意識を向けることによって
そのまま、自らの封印解きが可能となります。

どうぞ、皆さま、この地球に、この時期に、
ここに居合わせ、共に、『今』を、体験していることの
真の意味を思い出してください。

今、この瞬間の この出会いは
決して偶然ではありません。

共に、共に、夫々の御魂が御霊に、宇宙に還ってゆく 
その過程を心より観じて、お楽しみください。

もう、そこには、あなたを阻むものは有りません。
そこにあるのは、自らが決めた道程が有るだけです。
自らの決めた道ならば、その道を歩むことが
あなたの向う先に有るだけです。

麗しき 御姿を そのままで、
さぁ、還りましょう・・・
元々のあなたの元へ・・・

               ー9月22日の交信ー

ありがとうございました。
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# by spacewane | 2005-09-22 10:20

忍耐? 無私の愛? 感謝!!

「忍耐」とは、自分の意識が忍耐をしなければならないことを創っているのです。
本来、人は、忍耐・我慢をすることなく、いつも、そのままで楽しく、
心の中になんの曇りも生じさせずに、サラサラと生きてゆことが出来るのです。
生きる過程で自分の心を偽ったり、頑固な意識が困難な状況を創りだすという
ようなことが起って、自分を主張するため、また、相手の生き方を認めない
ために、そこに意識の歪が生じてくるのです。
従って、その歪みを上手く調整して表には出さずに我慢をしている状態が
忍耐とでもいうのでしょうか。
また、思うように進まない状況が生じて自分を否定する意識が困難を創りだし、
忍耐を強いられているように感じている人もおります。
素直に自分の心を観じて、瞬間、瞬間に起きてくることに誠実に向き合うことを
していれば、忍耐・我慢という辛い状況を体験せずに生きてゆくことが出来るの
です。

「無私の愛」とは、自分を無くして自分以外のものに愛を与えることです。
瞬間の出来事で何も考える間もなく行動して、結果、誰かを救済するとか、
あるいは、それしか選択の出来ない状況で、決心して、自分の存在を考える
ことなく他を生かしめることは、尊い「無私の愛」といえるでしょう。
しかし、普段の生活においては、まず、自分を大切にしてください。
誰かの為とか何かの為にという前に、まず、自分自身の為に生きてください。
自分が充分に満たされて愛を観じることが出来たなら、それは自ずと溢れて
他の所へと注がれます。
もし、今、愛を充分に観じられないと思う人がいたら、まず、そのままの、
今在る自分を好きになってください。
自分に評価を付けないで、そのままの自分を認めてください。
大切なのは、自分を信じることです。

「感謝」の心は、マイナスをプラスに一瞬で転じさせることが可能です。
人は逆境からも、平穏な暮らしからも、常に何かを学び、成長し続ける
ようになっております。
怒り、悲しみ、辛い環境にあって、その状況を憎んだり怨んだりしても
何の解決にも繋がりません。
その苦難を渦中にあっても、心を騒がせることなく静かに見ていられたら、
それは大変に素晴らしことです。
そして尚、そのことに感謝の心で対応が出来たなら、これは全ての
マイナス現象をプラス現象へと転じさせることが出来るでしょう。
起こるべくして起こってきている状況は、その起きたことに感謝なのです。
なぜって、起きてきたからこそ認識することが出来て、進む方向が見えて
来るのです。見えてきたら、後は、ただ素直に誠実に実行するのみです。
そこから始めることが、どのようなことに繋がってくるでしょう。
さぁ、まずは試しに、やってみてください・・・・・

母の介護を一生懸命に、出来る限り誠実に真心で行っています。
それを行いながら、様々なことを体験し感じております。
介護には、世間で良く言う「忍耐」「必死な看護」(無私の愛)が
要るのだろうか・・・と思ったとたんに上のようなことが観じられて
きました。
「うん、うん、・・・そうよね。」と思いました。
この納得の気持ち、ちょっと、皆にもおすそわけ・・・です。

ありがとうございました。
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# by spacewane | 2005-09-13 01:06

からまっていた糸がほぐれました。

今日は、83歳の母のことを書きます。

いつも言っていることですが、
ピンチ! は チャンス!
意識に何の不安も出さず、ただ起きて来ることに、
その時、必要だと観じてくることを実行してゆくと、
自然に絡まった糸がほぐれるように、スルスルと
物事が解決の方向に流れてまいります。
今回は、母が倒れたことから、色々なことが解決に向かう
その様子を書いてみましょう。

東京で一人暮らしの母はその生活形態が変わるのを極端に嫌っていて、
子供たちとの同居を望みません。
「これでは、もう、一人暮らしは無理でしょう・・」と、
母の生活振りを見ていて、色々なところで感じてまいります。
「まだまだ、このままにしておいてちょうだい。」の母の言葉に、
為すすべもなく、かと言って無理やり連れて来るわけにもいかず、
手をこまねいておりました。
妹と手分けして周期的に母の元へ通い、日常の手助けをするのが
精一杯の娘としての仕事です。
それでも毎日は行けませんので、どうしたら、お互いに良い状態で
安心して暮らしてゆけるかしらと模索しておりました。

八月の後半くらいより、私たちが居る前でも母が横になってしまうことが
多くなり、「あれ、何か様子がおかしいぞ・・」と感じておりました。
病院で二回ほど診てもらいましたが、診察結果は「もう、年なので・・
相応です。」みたいなことでハッキリしません。
でも、今迄とは、明らかに違う様子でダルそうにしているのです。
手足も浮腫んでいるようで色も少し変わっているようでした。
違う病院で、早々に、精密検査が必要かしらと思っておりました。

その頃、同時に介護の認定を受ける手続きを、妹が進めてくれておりました。
足の悪い母の移動に車イスを借りたり、どうしても家族が行くことの出来ない
日にヘルパーさんを頼めるように、福祉関係の手続きをしていたのです。
でも、それには医師の診断書を添付することが必須事項なのだそうです。
しかし今まで丈夫で、しかも病院の嫌いな母は主治医を持っておりません。
たまに罹る病院では診断書を書くことは出来ませんと断られてしまい、
かと言って、診断書を書いてもらうためにだけ病院にはいけません。
認定の手続きはストップしてしまいました。
このままでは認定は受けられないのでしょうか・・・

次から次と不安材料が押し寄せてまいります。
さあ、どうしましょう・・・と妹と相談をしていた矢先のことでした。

九月の初め、妹が母宅に行く日でした。
玄関を開けると、そこに、玄関のたたきに、母が倒れていたのです。
幸い意識はあるのですが、状況が把握出来ていないようで、
起き上がることも出来ずにいたようでした。
妹が支えても母に力が無いので起きられません。
アチコチ打ったらしく痛がり、また、顔はスリ傷になって血が
流れているし・・・で、とうとう、救急車を要請しました。

搬送された病院は新設三年の設備の整っている病院です。
さっそく検査が行われ、その日の内に原因が判明して治療が始まりました。
何かに感染して炎症が起き、白血球が通常の15倍位有ったそうです。
みるみる腫れていた手足が普通に戻り、身体は回復に向かっていきます。
ついでに、既往症の足の治療もしてもらうことになり、これが長年の母の
つらい原因だったので、私たちは、その点でも、とっても安心致しました。
また、介護認定の際に必要な医師の診断書も、その病院にて作成されること
になりました。

母が倒れたことは(それも、直ぐに発見できる状況で)、このように、
まず最大の心配要素であった母の身体の状態が分かることになり、
治療が出来ることになりました。
しかも、足の治療にも繋がりました(これが、本当に凄い!)。
また、介護認定を受けるための手続きが出来ました。
そして、今迄は、妹と二人で行っていた介護でしたが、これを機会に
義理の姉が加わってくれました。何と嬉しいことでしょう!
退院後も皆で協力してやってゆけそうです。

次に計画していることは、母の家の整理整頓です。
今はもう使えないものが、何十年分の物が溜まりに溜まっておりますが、
どれもこれも母には整理が出来ないのです。
母の留守の間に、少し整理整頓をし、風通しのよい部屋の状態にして
退院後の生活が快適に出来るようにしたいと思っています。
側に母が居たら、これは、絶対に出来ないことなのです。

気がついたら、母に関する困った事情が一転して好転しておりました。
これで母の生活も大きく変えることなく、安心のうちに暮らしてゆけそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

母は大丈夫。
私たちも大丈夫。
必ず、みんなにとって安心の方向に向かう。
心配はしないで、出来ることをしてゆこう・・・
喜んでしてゆこう・・・
真心でしてゆこう・・・

以上のことを、何時も思っていました。
いよいよの時、宇宙は必ずサポートしてくれます。
だから自分を信じて、「こうしよう!」と思ったことを、
ただ、真心で実行してゆけば良いのですね・・・・♪

妹の直感も素晴らしいと、随所に観じました。
その実行力に感謝です。
改めて、妹に、ありがとう!!!

ありがとうございました。
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# by spacewane | 2005-09-07 20:12

今を生きる〜〜元々に返る〜〜とは・・

今を生きるということ。
現実を生きて、元々の自分に返る過程を歩むこと。

今日はこのことについて、観じてくるままに書いてみましょう。

果てしなく広がる宇宙に時間という軸は存在いたしません。
従って、永遠に続く宇宙の流れの一瞬を捕らえて「今」とします。
この一瞬のなかに、あなたがたのいう過去も未来も全て包含されて
おります。
従って、今を生きるということは、既に、永遠を生きているという
ことに繋がっているのです。
ここに「今、存在している。」
これが、永遠の今を生きているということです。

では、この今を生きて、元々の自分に返るということは、
どういうことなのでしょうか。

頭で認識出来る「あなた」は、現実に肉体を持っている「あなた」です。
この地球で、何度も転生してきた「あなた」
尊い御霊としての元々の「あなた」
宇宙に発生した瞬間より永遠の魂の旅を続けている「あなた」が、
今、肉体を持ってここに居るのです。
それは、元々の御霊と「ひとつ」になるための尊い歩みを、
今の現実のあなたが一生懸命におこなっているということなのです。
体験を通して、一つ一つ覚醒し思い出すことが、元々の自分に返ると
いうことであり、それが「ひとつ」になってゆく過程なのです。
この確かな歩みに例外はありません。

この歩む過程において、さまざまな事が起きてまいります。
起きてくることは、一人ひとりにとって必要なことばかりです。
それを創造しているのは誰ですか。
自分自身です。
どのようなことも、全て、自分自身でプログラムしたことや、
成りたいと願望していることを体験しているのです。
従って、起きていることは、その時点で全く完全完璧であり、
自分以外の誰のせいでもなく、この「人生ドラマ」の「主人公」は
自分自身なのです。

静かに眼をとじて、深呼吸をして、自分自身の元々を観じましょう。

元々の君 それは
限りなくおおらかに ゆるりと存在し
向かうべきものは何もなく
ただ 在るということが
あるだけです

全てに満たされ
安心して ゆだねきり
この宇宙という広場で
どこまでも どこまでも
拡がり また 返ってくる

すべてを思いだし
目覚め
元々に返るとき

それは大いなる
至福の瞬間です
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# by spacewane | 2005-08-31 23:06