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「時」は来れり。

久し振りに自分と向き合いました。
心を落ち着かせ、静かに自分の内を観じていると
こんな想いが伝わってきました。

。。。。。 。 。。。。。 。 。。。。。 。 。。。。。

私という存在が、今、ここに居ります。
大いなる旅の、その先に「今」という時を迎え、
ここに来ております。
大いなる私の旅の行く先は、もう既に、あなた、
いえ、私には分かっている筈です。
そう、私・・・・
長い長い旅の果てに、ここに来ているのです。
この時を逃さず、この時を掴んで、
あなたとあなたに縁有りし者たちと、
共に、至福の過程へと向かうのです。

「時」は、来たる。
大元からの呼び掛けに答えよ。
大元からの光を感じられよ。
「時」は、来れり。

この「時」とは、全てのものに向けて放たれているのです。
このことに気付くもの、大いなる幸いとなるであろう。
まだ、気が付いていない者が多くあるなか、
気付いたものは、ただ、ただ、その歩みを止めることなく、
大いなる元々への歩みを進めるのみ。
決して、教えてあげようとか、説得しようか、
しないでよろしいのです。

先を行く者よ。
ただ、自分の歩みを進めなさい。
人は自分の内に、大いなる大元と繋がることのできる
真っ直ぐな一本の道を秘めているのです。
秘密の回路のようでありますが、
そこに気付いた者には大いなる福音の発見なのです。
元々へ還って行くことは全ての人に用意されていることなのです。
気付いた人からそれを始めることは、やがては、
多くの人たちへも拡がってゆくことでしょう。

常に自己の中心とつながり、
常に自己の中心を感じていることが肝心でしょう。
あなたがたには大元からの呼びかけに応じる遺伝子が内蔵されているのですから、
鮭が川を遡って産まれた所まで遡上してゆくように、
全ての人は、いつかは自分の故郷に戻ってゆくのです。
元々の光のなかに、還ってゆくのです。
早い遅いは、その者の成長に見合ってのことですから、
これは決して競うことではなく、一人ひとりの歩みでよいのです。

さぁ、あらゆる体験を積むために生と死とを繰り返し、
今、ここに目覚めし魂よ。
迷うことなく、ただ真っ直ぐに還ってくるのです。
大いなる旅路のその果てに用意されているこの道を、
真っ直ぐに戻ってくるのです。
ただただ、あなた自身の歩み方で・・・

。。。。。 。 。。。。。 。 。。。。。 。 。。。。。

全ての人に用意されているという道。
元々に向かう(還る)ための道を、
自己の内にみつけること、観じること。
それこそ素晴らしい発見ですね。

実践あるのみ・・・

ありがとうございます。
# by spacewane | 2005-12-26 16:14

答えは自分の内に・・・

下丹田に意識を持っていきながら、
静かに、静かに、自分の中心を観じてみましょう。

自分の中心・・・そこに脈打つ確かな感覚が観じられます。
それは次に、エネルギーとして身体の隅々まで行き渡るように拡がって、
初めは部分的に、そのうちに身体全体が暖くなってまいります。

  ・・・・・・・ ・ ・・・・・・・ ・ ・・・・・・・

自分は一人ではない。
大宇宙に、この自分の魂と強い絆でつながっている大いなる存在が在る。
それはそれは気も遠くなるほど大昔のこと、大いなる存在の元から発した命は、
永遠に続く命として何度も転生し、今また個としての肉体を持って此処に来ている。
その存在が「私」であり「あなた」なのです。

何のため・・・
誰と出会うため・・・
今・・・・此処にいるのかしら?

そう、それは・・・
自分という存在を通して様々なことを体験するため。
そして、あらゆる体験を持って、大いなる大元に還るため。

常に見つめる対象は自分のみ。
自分自身が置かれている現在の状態は、そのまま、
今の自分の心の状態を現しているのです。
人は、皆、夫々の意識を、自分の環境に反映させて、
その中で一喜一憂しながら生きているのです。
その一喜一憂が、そのまま、自分の現在の状態といえるのでしょう。
心の状態は常に一定では有りませんから、
揺れ動く心に翻弄されてしまうことが、しばしばです。

でも、もう、それは、翻弄されての人生は、
そろそろ、終わりにしましょうか。

自分の進む方向を、自身の内に観じてみるのです。
そこに答えが有るはずだから・・・
汲んでも尽きないがものが自分の内に次々と湧いて来るのを
観じてみるのです。
余計な心配や不安で心をいっぱいにしないで、
ただただ、自分の内を観じながら誠実に、今を、歩んでまいりましょう。
大元につながっている自分の内は、いつも調和に満ちております。
そこを感じながら歩んでまいりましょう。

  ・・・・・・・ ・ ・・・・・・・ ・ ・・・・・・・

自分に聞いて、観じてくることを、素直に実行してゆくこと。

只今、それを実行中です。

自分一人で行う範囲のことは易しいのですが、

第三者が関わってくると難しいことも起きてきます。

そういう時は、応用問題だと思って、難問が来るほどに

人生の学年が上がった証拠と喜ぶことにしました・・?(笑)

皆さまのところに難問は来ていませんか?

ありがとうございます。
# by spacewane | 2005-12-20 16:23

ご無沙汰しました。

・・・今を誠実に生きること・・・
私は今、日々、そのように生きております。
この地球上の誰もが「今」を精一杯に生きているのだから、
わざわざ、それを言うのは変ですが、
敢て、言いましょう。

気が付くと、以前には自分の内に確かに有った、人生の目的とか、
信念とか、こうするべきとかの想いが、あれれ、いつの間にか
「何にも無い」状態になっていました。
ただ、余計な頭を使わずに、今、したいこと、感じてくることを
実行しているのです。

また「今」を生きていると言っても、
将来に対する夢とかが無くなったしまった訳では有りません。
未来に対して湧いてくる具体的なイメージを感じて楽しんだり、
   (まるで夢見る夢子さんのように〜〜〜)
過去に出会った人々や、起きた事柄の中に、
今へと続く繋がりを感じて多いに感謝したりしております。

そのように過ごしている最近の私ですが、この頃は、
以前と変わらない日常の何気ない生活に、新鮮な喜びを感じたり、
以前と同じ周りの人々が、とっても愛おしく観じてくるのです。
有りがたく、この宇宙の一員として生かされていることを感じます。

様々な周囲との関わりの中で人は生かされております。
人は一人では生きてゆくことが出来ないでしょう。
しかし、この自分という存在が「今」選択したことが、
過去・未来を包含しての「自分の現実」ということになるのです。
「過去」から「未来」からが、この現実を決定しているのではなく、
「今」が現実を創っているのです。
それは、周囲との関わりにおいても「自分発→周囲」ということなのです。
人は何時でも「自分発」の出来事を体験しているのです。
周りに影響されての出来事と、言訳は出来ないようですね。
その「今」を選択したのは、自分ですから・・・

随分と長い間、このブログをお休みしておりました。
現実に身体を使っての忙しい時を過ごしていたのですが、
それが落ち着いた後も、なかなか更新しないでおりました。
現実の生活・環境にも、意識にも、変化の時期を観じて、
それに対応しながら過ごしておりました。

そして「今」。

「今」から「今」へ、
常に「今」の創り手としての自分を感じ、
「自分発」の歩みを一歩一歩進めながら、
夫々が人生の創造者として関わりあっている。

その大切さに改めて気が付いている「私」です。

ありがとうございました。
# by spacewane | 2005-12-05 16:00

感謝の日々。。。

暫くのご無沙汰でした。

現在、私は日常で様々な変化の時を迎えております。

母は退院して自分の家での生活を始めました。
と言っても入院前のようには身体の機能が戻らずにおりまして、
ほとんど一日中をベッド上で過ごしているような生活です。
それでも自宅に帰ってこられたことが嬉しいと言い、
「このままが良い・・・」と満足そうにしております。
食も細くなって、小さくなった身体で、精一杯にその存在を
示して見せてくれる姿は、人が生きてゆくということの意味を
教えてくれているようで、感謝の心が自然に出てまいります。
母は、ヘルパーさんに入ってもらいながら、私と妹が通っての
介護をされる生活となりました。
日々起きてくることを状況に応じながら対応してゆくのですが、
その生活は母との絆が益々強く観じられてくる毎日です。

先日、こんなことが有りました。

母の介護について、身近な人に協力を依頼しておりました。
一度は承認をしてくれたのですが、その後、「やっぱり、無理。」
と断られました。
その時、微かではありましたが、自分の心の奥で、
「え! 今、やらなくて何時行動するの?」
「なんて可愛そうな人・・・」
というような思いが湧いてきたのです。

その後、母の家からの帰り道のことです。
「自分意外の人を非難したり拒否したら、それは自己否定と
同じこと。」という言葉が内から響いてきました。

ワンネス。。。全てはひとつ。。。

そう、自分は自分の心を、ただただ、見つめていれば良いのだ。
目の前に来ていることを、精一杯に真心で行うことが歩む道。
ついつい人のことまで、勝手に決めてしまう自分がいた・・・
これは、そのような自分が引き寄せたことだったようです。
多いに気付かせてもらった次第です。
はんせい・・・・そして、ちょっと、せいちょう・・・

引っ越しを決めました。
時期は、まだまだ先ですが、ほとんど突然のように話がやってきて
決まってしまいました。
勿論、決めたのは、夫と私ですが・・・
でも、その展開に、自分でも、ビックリ!!! 

また、息子が或る国家試験の受験に合格しました。
何年か掛かっての快挙なので、大喜びの「親ばか」です。
地道な努力を知っているので、なおさらの喜びです。
喜びを持ってきてくれた息子に、そして、状況の後押しをしてくれた
全てに「ありがとう!」です。

と、いうわけで、今、いろいろと変化の時が来ておりますが、
そのどれもが、ワクワクと心躍らせてくれます。

今、自分は自分と深く強く繋がって生きているということを、
心より実感して感謝せずにはいられません。
全てに、感謝です。
ありがとうございます。
# by spacewane | 2005-10-14 17:32

元熱田・秋分の日奉納コンサートに参加して。

秋分の日、高い青空に軽い雲が幾つも浮かんでいて、
太陽が燦々と輝いておりました。
まるで、真夏に戻ったような暑い一日となりました。

豊川のインターを降り、道を左、左と辿ってゆくと、
左側に大きく削られた山の斜面を赤くむき出しにして、
照山は姿を見せてくれておりました。
その姿は、あまりにも無残に目に写り、
思わず、「あぁ、ごめんね。」という気持ちで、
一瞬、胸がいっぱいになりました。

そして、脇の細い道を入ってゆくと、そこはもう神社。
賀茂神社の境内でした。
山がそのまま神社になっているような佇まいで、
広大な広さと、沢山の樹木に囲まれて、
鳥居、社、末社、神楽殿・・・等が配置されております。
全体が素朴な様子で、一昔前に還ったかのような、
懐かしい落ち着きを感じました。

本殿の拝殿前にて、「宇宙とのホールディング」奉納演奏が
行われました。
鳥の声がバックグラウンドで、上からは太陽が背中にギンギンと
照り付け、演奏者の方々にはお気の毒な状態でしたが、
私は何故かそこに、今回の強いメッセージが有るような気が
しておりました。

その後、照山に移動いたしました。
南側が削られた山の反対側、北側にあたる小高い中腹です。
かなり急な斜面を上がると、そこにコノハナサクヤ姫を祭神として祭る社と、
その隣にはヤマトタケルの剣がそこに納められていたことを象徴する石像が
ありました。
皆が、意識を精妙に整えながら思い思いのご挨拶をいたしました。

続いて、おじさんチャネルの講演がその場で行われました。
「初めは、人間の経済社会の発展のために、山が削られ、形を変えられたこ
とに対する、怒り・悲しみのような波動を感じましたが、今、皆の癒しの気
持ちが照山そのものを癒し、これを受けて照山も喜んでおります。
この山の砂が皆の家や建物等に変わってゆきますが、そこに後悔はなく、
こういう形でお役に立つということを、照山は承知をして受け入れ、必要な
ことであったと思っております。
この山は、古来よりピラミッドとして広くこの地域一帯のエネルギーを調整す
る存在でありましたが、元々有った(もとあった→元熱田)その形を変えられ、
もう、元に戻ることは決して無いのだけれど、山は山として生き続けていくと
いうことをしてまいりますと言っております。
皆さまも、本来の元々の素晴らしさに還ることをしてまいりましょう。
その象徴として照山は、身を捧げて見せてくれているのです。
剣は、長い間、武器として扱われ戦いの象徴のようで有りましたが、本来の
意味は、剣が地に立てられた形の如く、天と地を一体として結ぶ象徴として
あるのです。
天と地とひとつになり、その元々に還るため、もし迷いが出たならば、どうぞ、
この剣をふるって絶ち切っていってください。
元々のあなたの素晴らしさにどうぞ気付いてください。」
というような(メモした訳ではないので違っていたらゴメンナサイ)、内容の
講演でした。
私には、深く深く響いてまいりました。

その後、沢山のミュージシャン達が集まって、それは楽しいイベントが遅く
まで続きました。
神社の神さま、木立、周辺の山々、集った人々、みんな、喜んだことと確信
します。
かがり火も炊かれ、キャンドルライトの仄かな明かりが小道を照らし、ムード
も充分に盛り上がった頃、私と友人の一行は感謝の気持ちを心いっぱいに抱き、
別れを告げたのでした。

照山さん、ありがとうございました。
主催者とスタッフの方々、神社の方々、ありがとうございました。
おじさんチャネルさま、ありがとうございました。
出会った方々、ありがとうございました。
この土地の全ての存在さん、ありがとうございました。
そして、NHさん、長距離の運転でお疲れさまでした。感謝!ありがとう!
    OTさん、ご一緒で楽しかったです。ありがとう!
また、北にお住まいのHTさん、MYさん、一緒でしたよ。ありがとう!

以上、元熱田、参加の報告です。
ありがとうございます。
# by spacewane | 2005-09-25 00:19